顕示先生

目的地は花巻市博物館

同じ敷地内にある宮沢賢治の童話村も一緒に見学する

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通路の壁画 賢治のイメージかな

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門をくぐり抜けると点在する建造物が目に飛びこんでくる

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『賢治の野草園』に続く小道

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岩手を代表する作家宮沢賢治の

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テーマパークか

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これが賢治の世界・・・

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丘の上に建つ何棟ものログハウス

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星の棟

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森の動物たちの棟

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その他いろいろ

それにしても

まったくワクワクしないのはなぜだろう

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賢治の詩にでてくる獅子踊りからも太鼓の音が聞こえてこない

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広大な自然と整備された中庭

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だがどこか居心地が悪い

想像力が働かない

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もっと素朴でやぼったい

それが私の抱く賢治の世界

目に見えるものとは別の世界だ

例えば

父が読みあげる岩手訛の賢治の詩 耳から

栗拾いでイガの上に尻もちを着き泣きわめいた山の斜面 身体から

自転車の前座席に乗って父と何度も通った古本屋で

表紙の取れた古い絵本を買ってもらい胸に抱いて帰った時のワクワク感

父の布団にもぐり込み思いつきの話をせがむ時のムズムズ感 心の奥底から

賢治の生き方そして作品の数々をこよなく愛した父は普段の生活の中で

私に空想と想像の世界を伝授してくれていたのに違いない

博物館の催し物は宮沢賢治没後80年記念

「藤城清治光のファンタジー」

連休中で人が多くまた展示作品の数に対して展示会場が狭いこともあり

素晴らしい作品の数々を堪能するまでに至らなかったことが残念でならない

母は氏の作品が好きだった

本の中の一ページに小人達の影絵そして母の歌声がそこに重なり合う

♪森の木陰でドンジャラホイ シャンシャン手拍子足拍子 

太鼓叩いて笛吹いて 今夜は楽しい夢の国

 小人さんが揃ってにぎやかに あ ホーイホーイのドンジャラホイ♪

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記憶は褪せることなくモクモクワクワクとかたちを変えながら人の心の中で生き続ける

見えないものにこそ真実がある

 帰り道の空がこの日の大いなる気付きを物語っているような気がした

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起の軌跡

両親のアルバム整理がほぼ終わった

なつかしく辛くもあったこの作業

未だ現実に適応できないでいる自分にとって有意義なこととしみじみ思う

膨大な数の写真を一枚一枚なぞることで二人の存在の重さを改めて痛感した

年号と西暦を照らし合わせ年代とテーマごとにフォルダに振り分けCDR三枚にまとめた

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私の知り得ない二人の幼少期から青春期

新婚時代そして四人家族となり新居を構えるまでの奮闘の時代

子が家を離れ二人だけの新たなスタート

余暇を一緒に旅した満ち足りた日々 

祖父祖母となり孫たちとのふれ合いで見せた満足そうな微笑

生の証と愛をそこに見る

時の移り変わりのなんと速いことか

自分もまた同じ流れの中にいることの自覚と感慨そして畏怖

父の十年日記を少しずつ読み進めている

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これからの私の人生のために

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前を向いて生きるために

アルバムは母の亡くなった五月に

岩手山の見えるポテ山の頂上にて「ありがとうの儀」が行われる予定です

(Tさんの御好意に心から感謝いたします)

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続・施錠の扉

父の顔は二つ

威三郎 パッとしないが父の名前だ。 「三郎なんて重みがない」と言うとニヤニヤしている。名前なんて人間を区別するためにつけた名称だから、別に土でも空でも机でもかまわないと全然問題にしない。

威三郎 よくかみしめてしみじみとつぶやいてみるとそう悪くもない感じ。まるい父の鼻のようになかなか愛嬌もあるように思われてくるから不思議なものだ。

威三郎 父の名は一つきりしかないが、顔は二つ。二重人格みたい。家にいる時の父は冗談ばかり。たまにいやらしいことを言って笑わせたり、マアマアの父だ。

ところが・・・である。父にはもう一つの顔がある。まるい鼻が三角になるということではない。それは新聞社のデスクとしての顔だ。この顔はニコニコしている父の顔とは想像もつかないくらい厳しいらしい。厳しいらしい、などと人ごとのように言うけれど、私は職場の父の顔は知らない。知っているのはやはり家にいる時の新聞記者としての父だ。

会社の電話が家に取り付けられた時、父はこう言った。「便利なようでも不便なものだよ」「そんなこと言ったって・・・」「電話がつけばどんなに便利すぎるかそのうちわかるさ」

その夜。会社からさっそく電話。受話器をとる父の顔はいつもと違う。宿直の記者から「事件が起きた、時間も遅い。扱いをどうするか」そんな要件らしい。父が時計を見ながら、テキパキと話し合っている。頼れる父の姿だ。いいぞ!おやじ。

この電話は礼儀を知らない。時間なんて、どんなに夜中でも休みの日でもかまわず大きな音をたてる。事件が起きた、新聞の印刷に間違いがある、家事だ・・・もうきりがない。夜十二時に帰って、一時に呼び起される時もある。たいてい電話で要件を済ませるが、時には電話で用が足りずに、自転車で深夜飛び出して行く。盛岡市内に配達する新聞の組み替えをするのだ。きょうは何かが起こりそうだという夜は服のまま待機することもある。なかなかきびしい。

新聞記者は大変だと思う。でもどんなに眠い時でも、雨の日も雪の日でも、いやな顔をせず、張り切って出て行く父を見ると、(本当はその時私は寝ているのだけれど)申し訳ないような気がして、しかっりしっかりと思う。

家にいるときの父。新聞記者としての父。父の顔は二つ。どっちにしても父は父。とにかく「おやじ、がんばれ!」

盛岡白百合学園中等部二年 村上 詩

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(記者時代の父のあだ名は ガミキング)

施錠の扉

『父の顔はふたつ』

中学二年の時こんな題名をつけた作文が放送局主催のコンクールで金賞を受賞した

家にいる時のひょうきんな父と新聞記者として働く頼もしい父の二面性を綴ったものだ

三年前に他界した父の遺品である大きな茶封筒

色褪せた大量の写真や紙の束が乱雑に詰め込まれている

それを一枚一枚確認し整理し始める

少年剣士の小学生時代

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旧制中学時代 ここでも剣士

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そして中国奉天に渡った大学時代

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そこには父の青春が

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ありありと映し出され

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私よりもはるかに若い青年の

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活き活きとした姿がそこにある

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幼いころ聞かされた中国の思い出話はほんの断片には違いないが

ワクワクして耳を傾けた記憶がある

おそらく父にとって文字通り血湧き肉踊るかけがえのない時代であったことだろう

異国の地で送ったその体験談をもっともっと聞いておけばよかったと今更ながら思う

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父の顔はふたつ?

いや

私の知り得ない顔がたくさんあったはず

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大人になり父と衝突し「大嫌いだ」と豪語したことが何度もある

しかし今改めて父を一個人として振り返る時

中学生の頃抱いていた素直な尊敬の念が再び熱く胸に湧き上がってくる

もう一度会いたい 

父に

< 続く >