墓参りの付箋

 

お花ちゃんのブログ記事で彼岸の入りということを知り

春分の日に お墓参りに行って参りました

我が家のお墓は市営墓地

郊外の山を切り開いた場所にある

途中には 盛岡市内を一望できる 岩山展望台

そして 岩山パークランド 動物公園もある

  車で20分ほどの比較的近い距離

それでも 気温は2.3度低く 真冬の積雪ときついアップダウンの道路は

危険過ぎて 到底私には無理

この日は穏やかな日差しに恵まれ 祭日ということもあって参拝者も多かった

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ここが入り口 両側の山の上にも 

そしてここからずっと奥の方まで広大な墓苑が区画され続いている

私の両親がもう30年くらい前に自分たちのために準備した場所は

左側手前の一画にある

数年前 墓石を建立しなければならなくなったとき

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「家」にとらわれることなく 皆がいっしょに眠りにつく場所にしようという

父と母の言葉に甘え  この言葉を刻んだ

いつかはここが 私の場所にもなるはず

死が生の一部だと 自らに言い聞かせながら

どたばたと過ぎた 悪夢のようでいて しかし もっとも現実的だったここ数年

平静を装い過ぎた後の 思いもかけない自分自身の混乱と失態

苦笑いしている かの人の顔が浮かんでくる

帰り道 坂道の入り口で 新聞社の同僚だったTさんとばったり会う

 偶然とは思われないような気がしてならなかった

リュックには 庭で摘んだ花を入れてきたのだという

ありがとう きっと喜びます

下りの坂道は 心がなぜか晴れ晴れとして

国道に出てから 家の方角には曲がらずにガソリンスタンドに直行

3月限りのサービス 100円洗車を済ませ

更に

衣料品店で 靴下4足購入

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この関連性のない行動は いったいなんだろう

自分でも不可解

墓参りの後は 人の心を予期せぬ方向に導くものなのであろうか

ともあれ

<合掌>

 

墓参りの付箋」への11件のフィードバック

  1. 由気 より:

    「共に眠る」って、素直な言葉、
    うちも「○○家」というのはやめておこうと決めているのですが、これは思いつかなかった~。

  2. uta より:

    由気ちゃん、著作権ないからこんな感じでいいのでは?
    この石は岩手にある姫神山の石です。輸入した石よりいいかなとおもいました。
    私はこの題名で本を書きました。

  3. お花 より:

    こんにちは!!
    私もお役にたつことができたんですね、よかった。
    100円洗車て安いですよね・・靴下4足1000円、当り・・そんなわけないか^^
     

  4. nori-p より:

    uta ちゃん
    共に生きたからこそ・・・「共に眠る」・・・なのですね。
    岩山も今日のいい天気で、雪もとけるかな。。。
           <合掌>

  5. 大佐 より:

    死は生の一部です。生と死は同意義とも。ともあれ、生きている人間の感情や情緒があるから、そんなことも考え付くわけで。。。。
    ワタシは徒歩通勤の毎日、お墓の横を通ります。でも、お参りするのは年二回・・・。おじいちゃんおばあちゃんごめんな。このお彼岸も仕事忙しいもんなぁ・・・。でも、行こっと!!
     
    ASHIメンバー、ごっつ増えたやんか。もうちっとまっててな。

  6. uta より:

    お花ちゃん、影響大だったよ!
    私はお彼岸におまいりしたのは始めてなのです・・・。
    自分のためにも行ってよかった!
    靴下は一番左が105円、あとは475円ですよ~!

  7. uta より:

    nちゃん、きょうは雲ひとつない晴天だね。
    今ジムから帰ってきたところ。〇オンから観る岩手山は絶景だったよ!

  8. uta より:

    お寅ちゃん!!元気だった?
    そやろ、ASHI増えたでぇ。パソコン待ちだね。
    死んだら結局無なんだって思い知らされたけれど、その無からも
    生きている者は学ぶことがいろいろあるんやなぁ・・・・と思うんよ。
    生きているってことはすごいことや!死んだら突然チョッキンやもん。

  9. 公開されるんだ! より:

    遅ればせながら書きます。
    これこそ墓碑銘、そして姫神山の石。
    すべてが感激。
    N子の投稿同感。
    本は全部読ませてもらいました。
    辛く長いトンネル、でも出版出来たパワーに脱帽。
    生意気なこと書きますが、これからも音楽を友に感じながら共に楽しみましょう。
     

  10. uta より:

    今になって思えば、よくもまあこんなパワーがあったものだと自分でも不思議です。
    悲しむ感覚が鈍いうちだったからこそ成しえた業だったんだろうと。トンネルの一歩手前だったんだよ。
    その時は、夫のメモを夢中で解読して印刷やを何度往復したことか。
    自分の心を整理する意味でよかったとはおもったけれど。なんのなんのその後からが最悪で
    今だから言えるけれど、死を考えてばかりいました。
    でも今は少し前向き。ロビーのトリオを書いたころあたりから、ひそんでいた音楽の心に灯りがついた。
    あの時迷いながらも外に出て県民開館の正面玄関を入ったら、視界が少しずつ開けたような気がします。
    しきりなおして新しい私の人生を始めようとおもっているよ。
    まだまだすてたもんじゃないと思うから。
    ryoちゃん、ありがとう。
    しかし・・・

  11. uta より:

    あら?最後のしかしは、ミスです。せっかく良い結びだったのにくやしい!!

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